別居中・離婚・再婚活中・ステップファミリー

どのような形の家庭にも
幸せと、心のあたたかさを見出せますように。

離婚から立ち上がり、シンママ生活を楽しむ


1. 離婚記念日



別居から離婚まで、1年半程かかりました。

話し合いがとても難航したのです。




ひたすら待ち続け、ようやく元夫から捺印済みの離婚届が送付された際には

私は一瞬「離婚記念日になるわけだから・・・」なんてどうでも良いことを考えていました。

覚えやすい日やゾロ目の日に提出する?とか、離婚届を出した日に打ち上げでもしようか?なんて。

すぐにそんな考えは飛んで、私は翌日の会社帰り早々に市役所へ行きました。

事務的に提出して、電車に乗ります。

打ち上げも買い物もなし。

記念に、自分へのご褒美を・・・なんてことも思いましたが、 一刻も早く保育所へお迎えに行かなければなりません。

お世話になった人にだけ、「無事、離婚成立しました」とお礼の連絡をしましたが、 それ以上は特に何もありません。 

これが離婚なのだな、と実感しました。

頭の中には、桜が満開、 そこに受験で合格した学生さん達が、両手をあげて喜びを分かち合っています。

そしてそれを遠巻きにポツンと眺めている私。

そんなイメージ。

そう、離婚して「ばんざーい!!!」では無かったのです。

ご褒美にバッグを買うとか、シャンパンとチキンでお祝いするとか、 そういうものではありませんでした。

あくまでも自分は遠くで、ポツンと座っているだけ。

今日、市役所に1枚の離婚届が出されて、1組の家族が終わった。 

ただそれだけのことでした。


2. 劣等感の裏返し



離婚の翌日。会社にそのことを申し出ました。

苦手なお局さんが、私の肩を軽くたたいて言います。

「まだ若いんだから、いくらでも再婚できるわよ!」

慰めているわけです。

普段は仲が悪くとも、・・・。

敵に情け、といったところでしょうか。

私は可愛くない性格ですから、 もう本当に正直、全く嬉しくありません。


私は綺麗な服を着ることにしました。

いつも明るく輝いていよう。

髪も、メイクも念入りに。

仕事はテキパキこなそう。

私は少し斜め上から人を見下ろしていました。

ニコニコ笑いながら、内心ちょっと別のことを考えていました。


「わたしは、まだまだ出来る。幸せになって見返すんだ。」


離婚して惨敗どころか、 むしろ少し歪んだ不屈の精神で立ち上がったのです。


3. みせかけの優しさ



私は毎日笑顔でした。

人の嫌がる雑用も積極的に引き受け、手伝いにも余念がなく、 何より他人に親切でした。

ある日、K君が私に意味深なことを言ってきました。

そしてなんとなく私の自尊心は満たされたのでした。

好意は少しずつ近づいてきて、 正直、そこに甘えたい、逃げ込みたい私もいましたが、 お付き合いには至りませんでした。


「君は優しい、君といるとなんだかホッとする」


私は彼のその一言を聞いて、はっきりと確信したのです。

K君は私の上辺に騙されていました。

私は優しくもないし、 一緒にいてホッとしてもらえるような存在でもありません。

身なりはきちんとしていましたが、家の中はいつも散乱していました。

会社では温かいハーブティを入れていましたが、 家の中では疲れ果てていて 水道水をそのままコップに入れて飲むことさえありました。

会社ではニコニコ笑っていましたが、 帰りの電車では泣いてしまう時もありました。

「外での私」と「自宅でのシングルマザーの私」は、 あまりにもかけ離れていたのです。 


「君といるとホッとする」  


私自身は、いつも緊張と多忙で張りつめていました。

私が唯一ホッとできたのは・・・ 

古くからの友人や、 新しく増え始めたシングルマザーの仲間と過ごす時間だけ。

一度結婚に失敗した私は、 安易に他人に寄り掛からないことを学びました。

それ以来K君の前では地で話せるようになり、 お互いに「理想とはちょっと違う」ことも分かりました。

恋愛には発展しませんでしたが、 ようやく私たちは、信頼できる友達になれたのです。



 


4. SNS


ふと、写真をUPしたのです。

そんなことは中高生のすることだと思っていました。

その日のうちにコメントが盛り上がり、私は少し楽しくなりました。

次の土曜日は、お弁当を持って公園に行きました。

そして眩しい緑の下で、写真を撮りました。

毎週毎週、休日のたびにお出かけをしました。

科学館
プラネタリウム
木工
プール
お祭り
映画
防災訓練
図書館
クラシックイベント
和太鼓
コスプレ
盆踊り
アスレチック
森ヨガ
太極拳
ライトアップ
お城や観光名所
銭湯
農業体験
お花見
サイクリング・・・

もう書ききれませんが、毎週毎週、人生の中でこれだけお出かけしたのは初めてです。

遅すぎる私の青春でした。

毎回つきあってくれた子どもには本当に感謝しています。


SNSという、ちょっとしたツールで私の行動は劇的に変わりました。

そう、別居中から離婚成立するまでの間、 私は毎日暗い闇の中にいたのです。

シングルマザーになった私には、 いつも楽しいコメントが舞い込むようになりました。





5. 子育て



自分が出産するまで、 私は乳幼児と触れ合ったことがほとんどありませんでした。

初めての出産で0歳の子どもと二人暮らし。

分からないままの子育てに、別居や離婚のストレスで、 充分な関りができていなかったかも知れません。

そのことは、子どもには申し訳なく思います。


それでも運の良いことに、私は隣人に恵まれました。

いつもマンションの隣部屋の女性が気にかけてくれ、 子どもは笑顔のたえない暮らしをしていました。

また、保育所の役員や地域のボランティア、 無料のクラブ活動にも積極的に参加しました。 

私たち親子は、沢山の親切な人々の善意で育てられたのです。


6. 自分で決める



0歳児と二人暮らしになり、 全ての出来事は私の決断にかかっていました。

どの保育所に入所するか、

どこに住むか 、

土日のお出かけ先、

今日のランチメニュー、 

全てが私の決定によるものとなりました。 

今まで人任せで生きてきた私にとって、これは初めての経験です。

自分で決めて、自分で責任を持つ。

幾つか失敗、判断ミスもありましたが、それも含めて良い経験となりました。

唯一やり残したことは・・・ 住宅の購入ぐらいでしょうか。

さすがに自分で住宅ローンを組む勇気は持てなかったのです。





7. すでに幸せになっている未来の自分を探しに行こう



この言葉を、ネットで見かけたのです。

ああ、そうだ。探しに行くのだ。

私は心に火が灯ったように動き出しました。

すでに幸せになっている未来の自分が、どこかに、確実にいるのだ。 

そう確信しました。

シングルマザー。

古い1DK。

リサイクルショップで買った服。

ドングリや松ぼっくりを拾ってきて手作りしたおもちゃ。 

100円ショップで購入したまな板とお鍋。
 布おむつの貧乏生活。


ここからの始まり。


私はどん底にいて、だけどその先には輝く未来があることを知っていました。

数年がたち、今、私は愛する人と再婚して、家族5人あたたかく幸せな暮らしに恵まれています。

運よく「未来の幸せな自分」に出会えたのです。


今だからはっきりと言えることがあります。

この幸せな今の暮らしと同じように、あの頃の私は間違いなく幸せだったのだと。

0歳児をつれて独りでオロオロしていた小さな自分。 

深い闇、深い深い恐怖。 

この子と二人、私、どうやって生きていったら良いのだろう。

不安だらけの、あの泣いてばかりいた寂しい自分こそが、 人生の中で一際尊い自分だったのです。 


あなたがもし、今の状況が辛くて泣いているとしたら、3年後5年後10年後に今日を思い出して


もう大丈夫だよ。よく頑張ってくれたね、ありがとう。


あなたはご自分にそう伝えることでしょう。


▼ 自己紹介記事

24sadalsuud.blogspot.com
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