今の生活のまま、ぼーっと待っていたらどうなるか?
「偶然どこからかお相手が現れて、プロポーズされて幸せになりました。」
確かに、そういう方もいます。
知人は海でナンパされて交際が始まり、そのまま結婚しました。
ナンパするようなチャラい男と結婚して幸せになれるの?
当時は無神経にも、そんなことをご本人にズバッと言ってしまいましたけれど、その後十数年ご夫婦で幸せに生活されています。
世間には「ぼーっと待っているだけで幸せになれた」方も沢山いらっしゃる訳ですよね。
「だから私も (日々頑張ってたら良縁が訪れる) 」と思ってしまいがちですが、全ての人がそうなるとは限りません。
「何十年かかってもいいわ。私はのんびりやりたいの。」なら、それでもOKですが、
もし出産したいとか、新築のマイホームを建てたい、
「これはちょっと急いだ方がいい」という夢があるなら、ぼーっと待っていないで自分から探しに行った方が、断然、可能性は拡がります。
ちなみに、これは全部私です。
「合コンなんて行けない」
「結婚相談所は敷居が高い」
「知人の紹介は嫌だ」
お金は払いたくないし恥はかきたくないし、そんな自分を変えたくもない。
ですから数年間、シングルマザーでグチグチ文句を言ってました。
「行動しなきゃ何も変わらない」の分かりやすい見本ですね。
そんな文句たれの私の人生が変わったのは、「今の生活がどうにもならなくなった」時。
それまで「単なる文句たれ」だったのですけれど、それが更にどうにもならなくなって、愚痴がより一層エスカレートしたのです。
かつては愚痴も「シングルマザーでしんどい」程度でしたが、段々ひどくなって
「お金もないし」
「時間もないし」
「分かってくれる人は誰もいないし」
「仕事はきついし」
「寝る暇ないし」
「身内の助けもないし」
「独りだし」
「体力も限界」
「あーもうダメだわ」
こんな感じです。
ジワジワ、精神的に周りから追い詰める感じ。
見るに見かねた知人の一人が、おいおい大丈夫か?って感じで近付いてきて、そして何の見返りも無く私の手助けを買って出てくれた。
それが今の夫。
ですから、
「ものすごく愚痴ってたら、親切な通りすがりに拾われました」
おそらく、世間の婚活マニュアルには全く書いていないようなことが「現実」なんです。
普通は「ネガティブをポジティブに変えたら成功した」とか「願望が実現するところを毎晩イメージしていたら引き寄せた」なんて言いますよね。
愚痴を言いまくってたら良縁に恵まれました、なんて聞いたことがない。
でも、それが再婚なんです。
中には「一生懸命に頑張っている性格の良い人が置いてけぼりで、要領のいいちゃっかり者が良い男をかっさらっていく」なんてこともある。
それが「ご縁」
それからテレビのニュースでも虐待とか、ネットのブログでも不倫とか旦那の借金とか、色々ある訳でしょう。
虐待していても不倫していても借金していても「結婚している」人は沢山います。
地震や災害も同じ。
うちは夫が被災、全壊を経験しています。
夫は真面目に生きてきて、一生懸命努力をしてきたにも関わらず、ある日突然、自宅が全壊。
現実は、「良い人だからうまくいく」とか、「頑張っていたら人生安泰」ということではありません。
ですから「幸せになるために自分を変えよう」なんて言いますけれど、「何を」「どのように」「なんのために」変えるのかということ。
「一生懸命、真面目に生きる」のは自分がそうしたいからそうするのです。
そして「自分が変わりたいから変わる」のであって、結果が伴うかどうかはまた別の話ですよね。
幸せになるために変わるというより、
「そもそも人は変わるもの」
「とどまる水は腐る」
頑張って変わった結果が良くなるか悪くなるかは見通せませんし、努力がうまくいく保証もできません。
それでも自分自身が誠実に生きたい・成長したいと思ってその生き方を選ぶのです。
その上で「駄目なら駄目で良いじゃないか」ぐらいの感覚で色々チャレンジしてみると、少なくとも可能性は拡がりますし、人間の幅にゆとりが出ます。
結果がどうあれ頑張ったから良いじゃないか!という心地よい達成感。
それが自己肯定。出来てもOK、出来なくてもOK。
「努力して自分が変われば再婚できる」
「再婚すれば幸せになれる」
必ずしもそうなるとは限らない。
努力しても、結果が中々見えてこない。
(むしろ、そういうケースの方が多いかも知れません)
それでも自分は自分で、年齢に沿って変化していく。
結果にとらわれることなく、自分自身に対して誠実に努力して、成長していく。
そのような生き方も、また素敵なものです。
私の場合は「愚痴を言いまくっていたら親切な人に拾われて再婚しました」ですけれど、これはどういうことかと言うと、「底を尽きた」現象ですよね。
「もう限界」
「どうにもなりません」
「助けてください」
こういう状況になると、人は必然的に変わります。
「出会いは偶然」ですけれど、その偶然を育てていくには、もちろん多少の努力が必要。
自分自身も、変わらざるを得ない。
そのような時も訪れます。
ひたすら愚痴を言っていたら親切な人に拾われた
( → 出会いは偶然。人柄や努力が報われるとは限らない)
ただ、
「そのまま愚痴を言い続けていたら、この恋は育たない」
「愚痴を言って発散する、その場しのぎだけでは先々無理がある」
「今のこの生き方では、もう限界だわ」
そう確信した時に、極端な愚痴を言うのを卒業したいと思ったのです。
もちろん、すぐに止められた訳ではなく
「愚痴を止めよう」
「あーまた言ってしまった」
最初はこの繰り返しでしたが、徐々に愚痴を控えて、代わりに感謝を育てたいと心境が変化したのでした。
例えば身体が疲れていて、「あー、お風呂の掃除しなきゃ、でももう立ち上がれないわー」って
「立ち上がれない」
そんな時もありますよね。
ただ、当たり前ですがそう思っていても「自分がトイレに行きたくなったら立てる」
立てるんですよ。
変な例えですけど。
ですから、必然的にその時が来たら身体も心も、ちゃんと動く。
もし今、「あー、私は駄目だわ。意志も弱いし、もう何の気力もないし、何も出来ないし。」と思っているとしたら、それは単に「今は休む時期」なだけです。
その時が来たら、ちゃんと動きます。
意志が強いとか弱い、気力や人間性は、あまり関係ないです。
「底を尽きたら、ちゃんと動ける」
虫歯なんかもそうですね。
歯医者が嫌いで、なかなか行けない(虫歯を放置)なんて話もよく聞きますけど、結局、進行して痛みでどうにもならなくなれば病院に駆け込みます。
もうこれ以上がまんできない!ってレベル。
だから何事も「本当に困ったら自分でなんとかするだろうから、放っておけ」と言いますように、人間には緊急事態のための非常用のバッテリーが備わっていますからご安心を。
もちろん「そこまで痛い目に遭いたくない」ってことで、余裕をもって計画的に変わっていければ、それに越したことはありませんけどね。
実は私自身も、なかなか変われません。
「こういう部分は変わることができた」けど
「こういう部分は、まだ変われない」
それこそ、「体重3キロ減らしたい」このレベルでも1年以上かかっています。
「後回しにしない」
「健康管理」
「丁寧な子育て」
「レシピを増やす」
「運動」
「日々の掃除」
出来ていないことが多いです。
40代にもなると、「昔は簡単に変わることができた」
それが段々、難しくなってくる。
新しいネジはすぐ回りますけど、古いさび付いたネジはなかなか回りません。
ですからこれは、自戒の意味を込めて、中々変われない自分への叱咤激励。
「再婚して幸せになってハッピーエンド」ではなくて、人生は続いていきますから、変化も努力も勿論ずっと継続です。
自分のペースで、日々の小さな変化を楽しみながら続けていきたいものですね。
次はあなたの変化を聴かせてください。
あなたが笑顔で、沢山の人たちと幸せを分かち合えますように。
<関連記事>