別居中・離婚・再婚活中・ステップファミリー

どのような形の家庭にも
幸せと、心のあたたかさを見出せますように。

離婚は恥?受け入れるまでの葛藤


子連れ再婚


「子どもが可哀想」


私だけでしょうか。そんな言葉を、何度も目にしてきました。


「養父による連れ子への虐待」

「再婚は親の身勝手」

「母親であることより、女を優先した」


虐待のニュースで「内縁の夫が」とテロップが流れると


「ああ、やっぱりね」


何度も何度も目撃した、このやりとり。


子連れ再婚 = 虐待という、この偏見。


だけど私自身にも、「子どもが可哀相だから再婚しない」と考えていた時期があったのです。






1. 子どもは可哀想なのか



それは離婚前も同じでした。


「離婚したら、子どもが可哀想」


私自身がそう思っていました。

この子を、片親の子にしてはいけない。

そう思って我慢することが母親になった自分の責任だと感じていたのです。

それなのに結局、耐えきれず離婚。


「片親の子にしてはいけない」


その思い込みは、離婚と同時に「片親の子にしてしまった」という自責になりました。


もし、あなたの大切な友達が「片親の子」だったとしたら。

あなたは彼女に「父親がいなくて可哀想な人だね」なんてことを言うでしょうか?

相手が友達なら、おそらく「可哀想な人」とは言わないでしょう。

むしろ「素敵な人」「素晴らしい人」だと言ってあげられるのではないでしょうか。

どうして友達には「素敵な人」だと言えるのに、

自分の子どもや自分自身に対しては、素直に「私たちは素晴らしい」と言ってあげられないのでしょうか。


2. 離婚したことを言えない



離婚した時に、真っ先にこの言葉が浮かびました。


「会社に、なんて言おう」


そう、離婚する前も同じことを考えていたのです。


「離婚するかも知れない、親になんて言おう。友達にはなんて言おう。ご近所にばれてしまう。」


離婚するという重大な決断の際に、「周囲になんて言おう」

・・・自分の立場、保身に必死。

離婚は恥だと考えていたのです。

そして、色んな言葉がよぎりました。


離婚は我慢が足りない、

責任感がない、

協調性がない、

常識がない、

自分勝手。

わがまま。


離婚後。

当たり障りのない知人に「ご主人は?」と聞かれた際、私は「単身赴任で」と、嘘をついてしまいました。


3. 運悪く聞いてしまった本音



ある集まりのこと。

その場に、私がシングルマザーであることを知る人は一人もいませんでした。

それは先日のニュースの話題です。


「10代の少年が、残虐な事件を起こした」

「怖いね」

「見た見た」


一人の女性が言いました。


「犯人は、片親の子だったらしいよ」


その場の全員が、一斉に頷きます。


「ああ、なるほどね」


犯人が母子家庭育ちだと、どうして「なるほどね」なのでしょうか。

あんな残虐な事件を犯すのはなぜか?
片親の子だから。なるほどね、納得。

この、流れ。

誰も私がシングルマザーであることを知りません。

知っていたら、面と向かってこのようなことは言ってこなかったでしょう。

「これが人の本音なのかな」と、私は、少し、卑屈になりました。





4. 運動会は、どうしよう



保育所の運動会。

保護者の参加チケット申し込み用紙は、廊下に貼りだされています。


「25日までに記入してください。」


毎日、誰かが書き込みます。3枚、5枚、2枚。

私は空欄のまま、様子をみています。


「1枚」


Hさんの欄には、そう書かれていました。

ああ、Hさんは一人で来られるのね。

私は親近感を抱き、少し安心しました。

結局、締め切りの25日夕方、そっと「1枚」と書きました。

お迎えの時間はいつも私が最後なので、幸い、その「1枚」の書き込みは誰の目にも触れませんでした。

運動会当日。私はそっとHさんの近くにいきます。

Hさんは独りの私に気づいて、横に来て話しかけてくれました。

Hさんのご主人はお仕事で、今日は来られないとのことです。

なお、翌年Hさんは、無事にお休みが取れたご主人と二人で参加されていました。

その年、私はRさんと一緒に参加していました。

Rさんは私と同じシングルマザー。

この一年で、私には仲間が出来ていたのです。


5. おとうさん、しんだの?



保育所のお迎えにいくと、唐突に聞かれました。

T君3歳。なんの悪気もないことです。

そばにいたT君のおばあちゃんが、慌てて「これ!そんなこと言うもんじゃない!」と、たしなめます。

一番困っていたのは、息子でした。

父親がどこにいるかなんてことは、息子には答えられない質問だったのです。





6. 真実を話す喜び



ある日ふと、市の広報で目が留まりました。


「シングルマザーの皆さん、お話しませんか」


人見知りの私が、自分から電話を取りました。

その日、同い年の女性と出会いました。

偶然、子どもも同い年です。

I君は息子に言いました。


「ぼくなぁ、お父さんいないんだぁ。」


息子は目が輝きました。


「ぼくもお父さんいないよ!!!」 


満面の笑みが広がります。

息子は、I君の初めての仲間になりました。

私は、I君ママの初めての仲間になりました。


7. 仲間ができて、強くなる



その日、息子のちょっとした風邪で、小児科の待合室にいました。

偶然、保育所の年長さんWちゃんもそこにいました。

息子とWちゃんは世間話を始めます。


「おうち、どこ?Wのおうちは3階よ」

「ぼくんち、Sマンションの1階」

「1階だけ?」


そんなやりとりの中で、Wちゃんは5人家族で3階建ての戸建てに住んでいると話していました。

息子はありのまま話します。


「ぼくはママと2人だよ」

「おとうさんは?」

「おとうさんはいないよ。ママだけ」

「え。やば!」


Wちゃんは「やば!」と言って笑いました。

少し困惑する息子でしたが、即座に私の方をみて「なー!」と言います。

私は落ち着いて、


「うちは2人だけど、おうちは毎日楽しいよ。おばちゃんのご飯もおいしいよ」


ニコニコ穏やかに答えました。

Wちゃんは怪訝な顔をします。

Wちゃんのママは、隣でずっとスマホを触っています。

ちょうど順番が来て、私たちは手を振って診察室に入りました。


私は、Wちゃんのママを「嫌な感じだなぁ」と思いました。

ああいうシーンで、足を組んでスマホ。

自分の子どもが差別発言しているのに対して、何も注意しないのだろうか。

私は、「離婚したのは自分」なのに、その矛先を変えて、Wちゃんのママに不快感を抱きました。

そう、そして瞬時にそんな自分を罰したのです。


「離婚したのは自分でしょ?

人から何か言われて腹を立てるぐらいなら、離婚しなきゃ良かっただけ。

いっそ最初から結婚なんてしなきゃ良かったのよ。

それを棚に上げて、なんでも人のせい。

だからバツイチは自分勝手なんて言われるんだ。」


私は自分の中から、そんな声が聞こえました。

離婚は親の自己責任。

子どもはもっと辛いのだ。

診察を終えて、私は息子と笑っていました。

いつものように、あっちむいてホイ!を、しながら。

私は待合室で嫌な気分になりましたが、落ち込むことはありませんでした。

来週、またシングルマザーのI君ママと一緒に遊ぶ約束をしていたからです。

嫌なこと、辛いことは流れていくもの。

同じように、私の人生には楽しみも喜びもあることを、仲間が教えてくれたのです。





8. 居場所



その後もシングルマザーの集まりに通い続け、仲間は一人、また一人と増えていきました。

今まで離婚をひた隠しに生きていた私は、仲間の中で、次第に事実を率直に話せるようになりました。

また、仲間以外の、・・・少し空気感の違う人々に対しては、あえて「話さない」ことも選択できるようになりました。

「ご主人は?」と聞かれると、にっこり笑って「色々ありましてね。」と答えることもありました。

それでも通じない相手には、「私、言いたくないのですよね」と。

ニコニコ笑って穏やかに、そんな大胆な返答もするようになりました。

話すことも、話さないことも自由。

私が決める。

私が誰を信頼するかは、私自身が決めていくこと。

勿論、少々の失敗もありました。

言わなきゃ良かったなぁ、なんてことも。

だけど「主人は単身赴任で」なんて、後でばれて自分が困るような嘘は、言う必要がなくなりました。