別居中・離婚・再婚活中・ステップファミリー

どのような形の家庭にも
幸せと、心のあたたかさを見出せますように。

バレンタインデスーザ神父「やさしさの愛につつまれて」離婚を許す道


思い出すと、腹が立つ。許せない。

時々、そんな気持ちになりませんか?

私は離婚から数年もの間、前夫を許せずにいました。
また、前夫と結婚した自分自身さえも許せずにいました。




人間には「怒る時期」があります。
人は怒ったり傷ついたり恨んだり。あって当然ですよね。

ただ、その怒りを誰かにぶつけて迷惑をかけるとか、何年も何年も引きずるというのは、いかがなものでしょうか。


私自身、あまりにも長く「怒り」にどっぷり浸かっていたのですが、それは結局は自らを傷つけました。


「前夫に、こんなことをされた」

「前夫に、あんなことを言われた」


それは今の夫とのお付き合いが始まった際にも、障壁となりました。


「前夫に、こんなことをされた。
・・・もう二度と、あんな目に合うのは嫌だ」


いわゆる、男性不信です。

一人の男性とうまくいかなかったからと言って、次もまた失敗するとは限りません。

ですが私は、離婚の怒りと共に自信も失い、

「二度と結婚なんかしたくない、怖い」

そんな気持ちから、今の夫を信じるのにも、また更に数年がかかってしまいました。


「腹が立つ」「許せない」とは、当然誰にでもある感情ですが、長く持っていて得をすることなど何一つありません。

いずれは幸せになるのですから、今この時に離婚の傷から立ち直り、怒りを手放す決心をしませんか。

幸い、私はこの本に出会えました。
同じように、辛い状況に立たされている方にご一読頂ければ幸いです。


 


引用

「人間の優しさは強さです。

自分の我を棄てて、自分に敵対する人、自分を利用する人にも、愛をもって優しく接し続けるようにしましょう。」

引用ここまで


私は離婚調停を経験しています。

この本の、この一文。
以前はどうしても受け入れることが出来ませんでした。

「自分を利用する人にも、愛をもって優しく・・・」

離婚調停は、揉めに揉めました。

前夫に対する怒りもありましたし、これから自分一人で子どもを育てていかなければならない重責感。
決して楽観視できる状況ではありません。

その中で、養育費や婚姻費用は請求していません。
このことについては賛否あるかと思いますが、当時は養育費を請求するだけの気力も残っていなかったんですよね。

自分としてはそこまで譲歩したのに、前夫は逆に私に金銭を要求してきます。
離婚したいなら手切れ金を払え、と。

財産と言えるほどのものはありませんでしたが、離婚にあたってその他もろもろの金銭要求が続きました。
もちろん私も拒否。

全く話がまとまらず、その時は半年かかって調停不成立に終わっています。
そして離婚交渉はまだまだ続くのでした。


この本に出会ったのは、離婚が成立して数年後です。
数年も経ったのですから少しは心の整理もできているはずなのに、実際は違いました。

この本を読んで当時を思い出し、ふと、怒りが再燃したのです。

「あの時、私は誠心誠意を尽くしたはずだった。
離婚するのだから、最後ぐらいは穏やかに終わらせようと思っていた。
できるだけ反論もせず、優しく、親切であろうと努力もした。

だけど結局その態度は、前夫の横暴ぶりに拍車をかけただけだった」

落ち着いて穏やかに、
落ち着いて穏やかに、

呪文のように繰り返し、相手を怒らせないように慎重に言葉を選びます。

だけどその努力も空しく、結局は激昂する前夫。
あの調停の無駄なやり取りが、脳裏にはっきりと蘇るのでした。


引用

「たとえその優しさが、人々に利用されたとしても、その生き方を貫きたいもの。
いつかあなたの美しい心を相手が悟ったとき、相手は心底から変わっていきます。」

引用ここまで


残念ながら、前夫が変わることはありませんでした。

「モラハラは治らない」

私は「優しさ」にはなんの力もないような気がしてなりませんでした。


世間もそうではありませんか?

不倫をするご主人。
奥様が一生懸命お料理をして、お掃除をして、ご主人の心を取り戻そうと努力をしています。

しかしながら、その不倫は終わりましたか?

借金をするご主人。
奥様はパートで家計を助け、働きながら家事育児節約、自分の必要なものさえも我慢して生活しています。

しかしながら、その借金は完済できましたか?

暴力を振るうご主人。
奥様は相手を怒らせないようにいつも気を配り、内心怯えながらも、いつも笑顔を作って過ごしています。

しかしながら、その暴力は治りましたか?


中にはその方法で再構築できた方もおられるかもしれませんが、実際には「解決できなかったから離婚した」私たちではありませんでしたか?

「私が我慢すれば」

「私が優しくなれば」

「私が努力すれば」

「きっと、状況は改善される」


違いますよね。改善されなかったから、離婚したのです。


ですからその経験をした私に、この本は痛いものが沢山ありました。

「いつかあなたの美しい心を相手が悟ったとき、相手は心底から変わっていきます。」

残念ながら、そんな日は来なかったのです。


そしてこの本には、優しさだけでなく、忍耐の大切さも書かれています。


引用

「痛み、孤独、苦しみをとおして得られるものは大きいのです。」

引用ここまで


前回の結婚生活で、私には痛みと孤独と苦しみしかありませんでした。
何も得るものはなく、随分と老け込んだだけの長い時間でした。




そんな反発だらけの一冊ですけれど、よくよく読むと違うんですよね。


引用

「自分の限界をわきまえましょう。(中略)
今できないことには「ノー」ということも必要です(中略)
「ノー」ということに罪悪感をもたなくてもいいのです。」

引用ここまで


その時、ふと思ったんですよね。

自分の限界をわきまえる。
私は・・・こういうことが出来ていただろうか。

「ノー」と言う勇気が、自分に、あっただろうか。


「これぐらいのことは仕方ない」

「周りにどう思われるか」

「このまま誰とも結婚できないよりは・・・」

「このまま離婚してしまうよりは・・・」


そんな言葉で自分を騙して、見栄と世間体ばかり気にして生きてきた自分。
本当は黒い感情でいっぱいなのに、「良い奥さん」を演じてきた自分。

そして結局、溜まりに溜まって修復できない状況にまで追い詰めあってから離婚を選んだ自分。

もっと早く、「ノー」と言えていたら。

世間の目とかつまらない見栄なんて捨てて、最初からもっと自分の気持ちに正直に生きていたら。

何かが違っていたかも知れないのです。私の場合。


ひとたび自分に心が向かうと、急に色んなことが見え始めます。

今まで「前夫にこんなことをされた」と思って生きていましたが、では「自分はどうだったんだろう」

「前夫が、ああで、こうで」という場所を越えて、「私はああでした、こうでした」


「自分自身はどうだったのか」というところに立てば、この本の意図するところがスッと心に入ってきたんですよね。

ですから先程、

以前は「自分を利用する人にも、愛をもって優しく接し続けるようにしましょう」という一文が受け入れられなかった、と書きましたが、今はそういう人になりたいとさえ感じています。

かつて私は、前夫によって自分の優しさ・親切・忍耐を踏みにじられたと感じていました。

けれど「私はどうだったか」

私は本当に優しかっただろうか。
親切だっただろうか。
忍耐しただろうか。

よくよく思い返せば、それは「穏便に離婚したい」

作られた見せかけの優しさ、偽りの親切でした。
本心から相手を思いやった真実の優しさではありません。


そのような「自分にとって心の痛い真実」を素直に受け入れ始めると、この本にはとても大切な言葉が沢山書かれていることに気付きます。


引用

「あたらしいスタートは、いつでもできます。あなたにも」

「心に触れたことは、永遠のものです。心で感じるものを大切にしてください」

「あなたの良いものを、みんなに配っていきなさい」

引用ここまで

どのようにして傷を乗り越えて、どのようにして本当の優しさが与えられるのか。
シンプルな言葉で綴られています。


前回同様、私はこの本を「心の教科書」としてお使いになることをお勧めします。

「気になるところは線を引く」「ノートに書き出す」
(方法は前回記事をご参照ください)

前回記事:バレンタインデスーザ神父「そよ風のように生きる」再婚活は焦らずに(別窓で参照)

離婚の傷を乗り越え培われた優しさは、その後の人生・・再婚や子育て、介護、仕事の人間関係や地域のつながり、沢山の場面をあたたかく包むことでしょう。

何より、前夫含め「誰のことも恨まずに生きる」

重い荷物を下ろせる喜びは何物にも代えがたいでしょう。

優しさは必ずあります。誰の心にも。
与えることも、受け取ることも出来るのです。


尚、今回は少し宗教色があります。
(前回以上に「祈り」や「神様」といった言葉が多く出てきます)

私自身は無宗教ですが、特に違和感なく読めました。
特定の信仰のある方はその点お含み下さい。


私は特定の信仰はありませんが、今日はあなたの幸せを祈ります。
どうか道が開けますように。
今日があなたにとって、優しさにあふれる幸せな一日でありますように。

一緒に頑張る再婚仲間

ブログ開設から・・・
あっという間の2か月半でした。

「仲間が欲しい」

そんな気持ちで始めたブログでしたが、初っ端にグーグルアドセンスを搭載したり、Bloggerのカスタマイズに悪戦苦闘したりと

横道に逸れてばかりの2か月半でもありました。


そして気分転換に他の方の再婚ブログを拝見してみたりと、気持ちの赴くままに過ごして感じたことですが、正直、

「悲しい記事がいっぱい」


仲間探しの旅に出たはずが、ネット上には、なんだか辛い記事が多かったです。

「連れ子とうまくいっていない」

「妻とうまくいっていない」

「再婚したけど毎日がストレス」


もちろん、その方たちにはその方たちの事情があって

「うまくいっていないからブログで発散している」

それで上手に発散できているのですから理解できます。
私も愚痴日記はよく書きますね。
書くことで心って整理されますから。


頭では分かっているものの、ちょっと寂しかったです。
うまくいっている再婚家庭の大半は、わざわざブログなんかしないですよね。。。
では、どこに行ったら出会えるのでしょう。


ちなみに我が家は、昨日も普段通り平和でした。

再婚当初は時折ぶつかり合いもあった夫ですが、この数年、何度も何度もお互いに気持ちを確かめ合って、支えあってきました。

今もこれからもかけがえのないパートナーです。

子どもはおっちょこちょいですが、元気で気持ちのやさしい子です。
下の子はまだ0歳。甘えん坊。

みんなで夕飯を囲んで、食後に頂き物のクッキーを分け合って、トランプで遊んで、就寝。

どこにでもあるありふれた日常がたまらなく幸せで、感謝しています。


だけど時折、無性に誰かに出会いたいなぁと感じることがありますね。

専業主婦。下の子0歳。夫は長時間労働。

長く・・・ 家に居過ぎたのでしょうか。


最近始めた児童館通いですが、若いママさんの中で、なんとなく笑って無難に過ごしている自分がいます。

下の子は再婚後、40代での出産でしたので・・・ 私一人、明らかに周りと年代が違うんですよね。。。

そして腰痛だの老化だので、なんだか周りの人みたいに頑張れない。
上の子の時はシングルマザーで気合充分、若かったこともあり、ピクニックやアウトドアなんてみんなでよく出かけたものですけど、

40代になると本当に頑張れないんです。。
周りがこのままランチ行こう!って時に、「あっ。ごめんなさい、私、用事が・・・」

そそくさと帰って、自分から帰ったのにちょっと寂しいわ、でも身体はしんどいわ、

そんな毎日です。


折角再婚して家庭も落ち着いて、幸せな毎日を送っている今、

もう少し頑張れたらいいな。って

自分は今の自分でも充分、まあまあ頑張っているほうだとも思うのですが、そこにちょっと幸せの上積みと言いましょうか、

丁寧に家事をこなすとか健康や美容に気を配る、新しいレシピを増やす、子どもとの関わりを大切にする、

そんな「今よりもう少しキラキラした生活」が送れたらいいかな。


ウォーキングや筋トレなんてめんどくさいわー、ってさぼっちゃうんですけど、

「いやいや、そんなこと言わないで一緒にがんばろうよ!!!」って
楽しく続けていける仲間

そんな出会いがあれば。いえ、私自身が誰かからそう思ってもらえるように。

一緒にがんばろうよ!!! って誰かに言えるような人になれたら。


それが当面の目標です(^^)


下は、↓ ものすごーく分かりにくいですが、ベランダのトマトの実です~

ようやくちっちゃくふくらみ始めました。



幸せになることより、幸せを育てることに、喜びが見出せますように。
今日も良い1日をお過ごしください(^^)





バレンタインデスーザ神父「そよ風のように生きる」再婚活は焦らずに

再婚活に、焦りや疲れを感じ始めたら是非。

「そよ風のように生きる 旅ゆくあなたへ」

愛や優しさ、大切な生命、生き方に触れるバレンタイン・デ・スーザ神父様の言葉集です。

こちらは再婚活に特化した本ではありません。
独身・既婚・離婚・再婚問わず、どなたが読まれても心が落ち着いて安らげる内容です。

その中であえて「特に再婚活に焦りや疲れを感じ始めた方へ」とお勧めしたのは、かつて私自身がシングルマザーで、将来に不安しかなかった当時に一番助けとなった本だからです。


   


中は「愛と優しさ」「ひととのかかわり」「日々の生活」などの項目で構成され、普段の暮らし方や生き方のガイドになっています。
また、「いのち」「たまもの」の項目は、離婚して先が見えない状況の中で「自分は何を大切にして生きていくか」というとても尊いものに気付かされます。

全65ページで「ただ読むだけ」なら10分20分で読める内容です。
もちろん「ただ読むだけ」でも心が洗われる清らかな本ですが、私はこの本を「心の教科書」としてお使いになられることをお勧めします。

つまり、教科書のように「気になったところには線を引く」「感じたことをノートに書き出す」このような使い方が、心の整理や生き方の方向性を定めることに役立ちます。
心を整理して生き方の方向性を善に定めると、次第に愛ある生活へ自然と導かれるようになります。


私の場合ですが、当時は冒頭から心を砕かれた気がしましたね。

引用

「目先のものに目を奪われていると、大切なものが失われてしまいます」

引用ここまで

このような短い文章ですが、では「目先のもの」って何ですか。「大切なもの」って何でしょう。

私は「再婚して今の生活から抜け出したかった」ですね。

子どもが病気の時ぐらいは、気兼ねなく仕事を休みたかった。
いえ、できることなら退職して、一生働かなくても良い暮らしがしたかった。
遊びたい時に遊んで、疲れたら寝る。自由気ままに過ごしたかったです。

一方で総合職を目指していました。
シングルマザーで時短勤務。
当時はシングルマザーでなくとも「育休切り」や「待機児童」「マタハラ」などで、「女性は出産したら退職するのが当たり前」そんな時代です。

その中で「シングルマザーでも総合職になれる」「時短勤務者でもサラリーマン並みに稼げる」という社会があっても良いじゃないか。

だから「シングルマザーでも人並みの暮らしができる」なんて言ってちゃいけない。
「人並みの暮らし」そこを目指しちゃいけない。
シンママだろうがバツイチだろうが、頑張ったら(人並み以上に)報われるべきなんだ。

そんなことを考えていました。

ですから正気の他人から見れば矛盾だらけ、
「退職して一生遊んで暮らしたい」または「シンママ時短勤務でサラリーマン以上に稼ぎたい」

働きたいのか働きたくないのか一体どっちなんだ。って感じですよね。
他人からみたら全く無秩序で両極端な思考なのですけど、私本人は一貫して全くブレていないんです。

「他人には何も言われたくない。自分は自由で好き勝手に生きたい」

自由で勝手気まま我儘に生きるためには「無職の大金持ち」か「ずば抜けて有能な時短勤務者」の二択なのです。私的には。

でも現実にはしがない一般職で、時短の分は当然、お給料もしっかりと減額されている。
子どもが熱を出せば周りに頭を下げて回って早退、残業を頼まれたら毎回別の人に頼みなおし。

そういう「他人から何も言われず自由で気まま」とはかけ離れた生活をしていて、そのことを「シングルマザーが生きにくい社会」「弱者に冷たい社会」なんて言って「社会」のせいにする。

最終的には「シンママ生活しんどい」「あー。再婚して楽になりたい」「誰か養ってくれないかなぁ」


先程、この本の紹介で「目先のものに目を奪われていると」と引用しましたが、私の場合はもう完全に「目先のもの」しか無かったですね。
一寸先は闇ですから、目先のものしか見えないし、そもそも自分に一年後二年後三年後があることさえも不確か。

当時は時短勤務は3歳までという規定がありましたから、3歳以降のフルタイムが乗り切れるかどうか。

そこを乗り越えられたとしても今度は「小1の壁」と言われるように、当時は学童が18時までしかありませんでしたから、そこで頭打ちになるのではないか。

そんな不安でいっぱいでした。

現在はもう少し働きやすい社会ではありますけれど、その頃は先輩社員が次々に退職して、自分がフロンティア状態でした。前例がない。
出産後も働き続ける社員は数パーセント、本当に僅かだったのです。

その中でキャリアプランを立てるとか、子育てのビジョンを持つなんてことは私には不可能でした。


その生活の中、かつての恩人に頂いたのがこの本です。

大切なものを守るために目先のことで悪戦苦闘している私に「ちょっと立ち止まって周りを見てみなさい」と。
「そのやり方ではいずれ大切なものまで失いますよ」と、この本がそう言うのです。もう遠慮なしに冒頭から。

読み進めるうちに、この本は次々とぶつかります。

引用

「愛、思いやり、親切心は使えば使うほど豊かになります。(中略)無条件の愛であれば疲れません」

引用ここまで

「無条件の愛であれば疲れません」と、はっきり書かれている訳です。
それを読んでいる私は既に疲れ果てて壊滅寸前ですよね。

朝5時に起きて朝食準備に夕飯の仕込み、6時半には家を出て、7時に保育園着。
神経をすり減らすように働いてバタバタと退社、19時にお迎え、そこから夕飯、布オムツの洗濯、日によっては通院や役員の雑事、0時就寝、翌日はまた5時に始まって・・・

気絶するように寝る毎日。

疲れますよ。

子どもがグズグズして会社に遅刻しそうだとか、保育園で怪我をさせられて病院に連れていかなければならない、日々の小さなアクシデント。

職場ではこちらの退社時間ギリギリに急ぎの書類を回してくる他部署、締め切りを守らない管理職、こういう些細なことでいつもイライラして、ドッと疲れる毎日。

疲れる以外、何があるんですか。

でも、ふと鏡に映った自分が

鬼のような顔をしていたんですね。

その日、眼鏡をかけたまま寝てしまって目の周りがくぼんでいたのもあって、まさに餓鬼に取り憑かれた老婆が映っていました。

何やってるんだろう、自分、  って。


一生懸命やっている。子どものために。自分のために。
でも、疲れ果てている。
ここまでしても、無条件の愛とは言えないんだろうか。私が頑張ってきたことって、なんの価値もないんだろうか。

そういう強烈な顔を思い出したりしながら読み進めていました。

そして本に書かれていることは全部自分に当てはまるのです。

引用

「一度傷つけられると、いつまでも相手の過ちを赦そうとしない人がいます。(中略)その人は傷ついた時点で心の成長が止まっているように思えます。」

引用ここまで

これも正に私でした。
離婚して数年が過ぎても前夫が許せない私。

もう終わったことなんだからいいじゃないか、幸せに生きるために離婚したのに、これじゃ全然幸せじゃないだろう、って、何度も何度も自分に問いかけるのですけれども、「いや、でも、思い出したらやっぱりムカつく」みたいなところから抜け出せないんです。
むしろ「ここまできたらもう許さなくてもいいんじゃないか」とさえ思う。

そういう私でした。

ですから、「この本を心の教科書として使う」ことをお勧めしましたが、このように「あー、これ私だわ」とか「私はこんな風に思えないのよね」「私には出来ないわ」と思ったら、それも素直に書く。
ノートでも日記でも構わないのですが、読みながら感じたことをドンドン書き留めていきます。

そして書きながらもう涙が溢れてどうしようもないとか、怒りが沸いてきて前夫に対する恨みや、職場・親戚・ご近所、何でも構いませんから思い出すと腹が立つこととか、そういう負の感情も丁寧にノートに書き出していきます。

また、「こうなりたいなぁ」とか「良い言葉だなぁ」というような、本の中で自分に合うものを見つけてあたたかい気持ち、嬉しい気持ちに出会えたらそれも書き留める。

心に浮かんだことを片っ端から書き留めていくことが心のデトックスになります。

尚、<再婚活 8.離婚の犠牲者への償い(別窓で参照)>にも書きましたが、再婚活が疲れる原因に「前回の結婚生活の傷」「離婚の傷」「本来からの異性観の歪み」が深く影響しているケースは多々あります。

もちろんそこに、「現在の生活状況」や「周りの環境」などが加わり、再婚活が停滞するには複合的な原因があるのですが、それでもこの「心のデトックス」に取り組むだけでも状況は大いに改善されます。

興味があればこちらのプロセスもお試しください。


そよ風のように生きる



この本のタイトルですが、「そよ風のように生きる」って、結構大変ですよね。

シングルマザーで多忙、普通は父親と母親の二人で分担することを、全部一人でまかなう訳ですから「そよ風のように」とはいきません。

私は「立ち止まったら終わり」だと思っていました。

休みなく、人の二倍三倍の速さと効率で動き続けることでした。
そしてちょっとしたミスで5分でも遅れたら、子どもが泣きだして、あやしていたら今度は布オムツに漏らして、それを取り換えていたら保育所に遅刻して、電車にも乗り遅れて、会社にも・・・・

最初の「たった5分のミス」は、何故か最終的には1時間の居残り残業にまで膨れ上がっているのです。

そして保育園のお迎えに遅れて、閉園後の遊戯室でひたすら謝っている。その横に我が子が一人でポツン。

とぼとぼ帰宅して、寝しなに絵本を読んで、静かな夜更けに

ああ、吐きたいなぁ・・


私は過食も嘔吐もありませんから実際には吐けないんですけれども、朝の「たった5分のミス」は、夜にはもう全然別のものに変わっているんですね。

なんのために生きているんだろう、とか
誰か一人でも
私を必要としてくれている人はいるんだろうか

この子は、こんな私と一緒にいて
幸せなんだろうか


なぜそこまで深刻に?と、普通の人は呆れるかも知れませんけど、自分としてはパンパンに膨れ上がった風船のようなもので、小さな傷一つでも破裂してしまう状態だったのです。

ですから日々必死でしたし、「立ち止まったら終わり」でした。


それも慣れてくると今度は「自分一人で何でもできる」という勘違いが始まるんですね。

離婚なんて褒められたことでもなんでもないんですけど、何故か「普通の家庭が夫婦二人でこなしていることを、私は自分一人で出来ている。努力家で効率的なシングルマザー」みたいな変な優越感といいましょうか。

変に自信がついて、今度は周りが役立たずに見えてくる。

同僚から「うちの旦那は私が熱を出しても何もしてくれない。子どもをお風呂にいれてくれるだけでいいのに」

こんな愚痴を聞くと

「いやいや、まだ赤ちゃんなんだからお風呂ぐらい入れられるでしょう。何を甘えてんのよ。うちなんて1年365日すべて私一人で余裕よ」

そんな、優しさの欠片もないようなことを平気で思っている自分でした。

そよ風どころか、冷たい暴風雨です。


そして人の何倍ものスピードで物事を処理すること、常に追われる生活でした。
人の何倍も努力しました。
目指す場所を間違えていたので、誰よりも早く間違ったゴールに着いてしまい、よく途方に暮れたものです。


「そよ風のように生きる」

立ち止まったら終わりだと思い込んでいる人間にとって、それは受け入れがたいことです。

「寝る暇もない」「食べる暇もない」

そう信じ込んでいる自分が、ちょっと立ち止まって景色を楽しむとか、休憩する、それは後になって大きなしっぺ返しをくらうんじゃないかとさえ、よく恐れたものです。

ですがこの本は、そんな人にこそ読んで頂きたい。あなたが恐れていることは起こりません。大丈夫。

生きる速度を少しゆるめて、周りを見渡してみて下さい。深呼吸をして下さい。
おそらく直ちには何も起こらないでしょう。
それでも続けるのです。

6か月、1年、5年、
毎日続けることによって、必ず、この生き方の方が大きな幸せを得られることに気付くことでしょう。


再婚活は「時間との闘い」になりがちです。

<再婚活 7.なりたい自分になる(別窓で参照)>にも書きましたが、「1日も早く」

年齢が上がれば上がるほど不利になると考えがちです。
ですがその焦りの結果、大切なものを見落とすことをご存知ですか。

もしあなたが再婚活に焦りや疲れを感じておられるなら、それは分かりやすい危険信号です。
ご自身の心と向き合う大切な時期に辿り着いた証でもあります。


心の教科書



この本を読まれて、感じたことはノートに書き出してみて下さい。
この本は65ページの薄い冊子ですが、あなたの人生は生きてきた年数分の厚みです。
もしかするとそのノートは、1冊、2冊、数十冊にも及ぶ大作となるかも知れません。

書き出し作業が終われば心のデトックスは完了です。

デトックスと共に、ノートは処分しても良いですね。
辛い記憶と共に、「その辛い状況を、今まで頑張ってくれてありがとう」と、感謝を添えて送り出しましょう。

大切なノートですから、もちろん手元に置いても構いません。

私も数年は保管していました。
泣きながら恨みつらみを書き出したあの壮絶なノートでしたが、数年後、引っ越し作業の最中にふと開いて読み、我ながら大爆笑でした。

そして一気にこみあげてきたのです。

いっぱい泣いた。人にも散々迷惑をかけた。ちょっとはた迷惑な自分だった。
勘違いも多かった。支離滅裂で、プライドばかり高くて、どうしようもない自分だった。

その自分が本当にかけがえのない存在

シングルマザーで悪戦苦闘して、笑って泣いて、怒って、精一杯走っていた

その間違いだらけのかつての自分自身のおかげで、今、私は幸せの中そよ風のように生きたいと思えています。

心の教科書は、過去の自分自身だったのかも知れませんね。