思い出すと、腹が立つ。許せない。
時々、そんな気持ちになりませんか?
私は離婚から数年もの間、前夫を許せずにいました。
また、前夫と結婚した自分自身さえも許せずにいました。
人は怒ったり傷ついたり恨んだり。あって当然ですよね。
ただ、その怒りを誰かにぶつけて迷惑をかけるとか、何年も何年も引きずるというのは、いかがなものでしょうか。
私自身、あまりにも長く「怒り」にどっぷり浸かっていたのですが、それは結局は自らを傷つけました。
「前夫に、こんなことをされた」
「前夫に、あんなことを言われた」
それは今の夫とのお付き合いが始まった際にも、障壁となりました。
「前夫に、こんなことをされた。
・・・もう二度と、あんな目に合うのは嫌だ」
いわゆる、男性不信です。
一人の男性とうまくいかなかったからと言って、次もまた失敗するとは限りません。
ですが私は、離婚の怒りと共に自信も失い、
「二度と結婚なんかしたくない、怖い」
そんな気持ちから、今の夫を信じるのにも、また更に数年がかかってしまいました。
「腹が立つ」「許せない」とは、当然誰にでもある感情ですが、長く持っていて得をすることなど何一つありません。
いずれは幸せになるのですから、今この時に離婚の傷から立ち直り、怒りを手放す決心をしませんか。
幸い、私はこの本に出会えました。
同じように、辛い状況に立たされている方にご一読頂ければ幸いです。
引用
「人間の優しさは強さです。
自分の我を棄てて、自分に敵対する人、自分を利用する人にも、愛をもって優しく接し続けるようにしましょう。」
引用ここまで
私は離婚調停を経験しています。
この本の、この一文。
以前はどうしても受け入れることが出来ませんでした。
「自分を利用する人にも、愛をもって優しく・・・」
離婚調停は、揉めに揉めました。
前夫に対する怒りもありましたし、これから自分一人で子どもを育てていかなければならない重責感。
決して楽観視できる状況ではありません。
その中で、養育費や婚姻費用は請求していません。
このことについては賛否あるかと思いますが、当時は養育費を請求するだけの気力も残っていなかったんですよね。
自分としてはそこまで譲歩したのに、前夫は逆に私に金銭を要求してきます。
離婚したいなら手切れ金を払え、と。
財産と言えるほどのものはありませんでしたが、離婚にあたってその他もろもろの金銭要求が続きました。
もちろん私も拒否。
全く話がまとまらず、その時は半年かかって調停不成立に終わっています。
そして離婚交渉はまだまだ続くのでした。
この本に出会ったのは、離婚が成立して数年後です。
数年も経ったのですから少しは心の整理もできているはずなのに、実際は違いました。
この本を読んで当時を思い出し、ふと、怒りが再燃したのです。
「あの時、私は誠心誠意を尽くしたはずだった。
離婚するのだから、最後ぐらいは穏やかに終わらせようと思っていた。
できるだけ反論もせず、優しく、親切であろうと努力もした。
だけど結局その態度は、前夫の横暴ぶりに拍車をかけただけだった」
落ち着いて穏やかに、
落ち着いて穏やかに、
呪文のように繰り返し、相手を怒らせないように慎重に言葉を選びます。
だけどその努力も空しく、結局は激昂する前夫。
あの調停の無駄なやり取りが、脳裏にはっきりと蘇るのでした。
引用
「たとえその優しさが、人々に利用されたとしても、その生き方を貫きたいもの。
いつかあなたの美しい心を相手が悟ったとき、相手は心底から変わっていきます。」
引用ここまで
残念ながら、前夫が変わることはありませんでした。
「モラハラは治らない」
私は「優しさ」にはなんの力もないような気がしてなりませんでした。
世間もそうではありませんか?
不倫をするご主人。
奥様が一生懸命お料理をして、お掃除をして、ご主人の心を取り戻そうと努力をしています。
しかしながら、その不倫は終わりましたか?
借金をするご主人。
奥様はパートで家計を助け、働きながら家事育児節約、自分の必要なものさえも我慢して生活しています。
しかしながら、その借金は完済できましたか?
暴力を振るうご主人。
奥様は相手を怒らせないようにいつも気を配り、内心怯えながらも、いつも笑顔を作って過ごしています。
しかしながら、その暴力は治りましたか?
中にはその方法で再構築できた方もおられるかもしれませんが、実際には「解決できなかったから離婚した」私たちではありませんでしたか?
「私が我慢すれば」
「私が優しくなれば」
「私が努力すれば」
「きっと、状況は改善される」
違いますよね。改善されなかったから、離婚したのです。
ですからその経験をした私に、この本は痛いものが沢山ありました。
「いつかあなたの美しい心を相手が悟ったとき、相手は心底から変わっていきます。」
残念ながら、そんな日は来なかったのです。
そしてこの本には、優しさだけでなく、忍耐の大切さも書かれています。
引用
「痛み、孤独、苦しみをとおして得られるものは大きいのです。」
引用ここまで
前回の結婚生活で、私には痛みと孤独と苦しみしかありませんでした。
何も得るものはなく、随分と老け込んだだけの長い時間でした。
そんな反発だらけの一冊ですけれど、よくよく読むと違うんですよね。
引用
「自分の限界をわきまえましょう。(中略)
今できないことには「ノー」ということも必要です(中略)
「ノー」ということに罪悪感をもたなくてもいいのです。」
引用ここまで
その時、ふと思ったんですよね。
自分の限界をわきまえる。
私は・・・こういうことが出来ていただろうか。
「ノー」と言う勇気が、自分に、あっただろうか。
「これぐらいのことは仕方ない」
「周りにどう思われるか」
「このまま誰とも結婚できないよりは・・・」
「このまま離婚してしまうよりは・・・」
そんな言葉で自分を騙して、見栄と世間体ばかり気にして生きてきた自分。
本当は黒い感情でいっぱいなのに、「良い奥さん」を演じてきた自分。
そして結局、溜まりに溜まって修復できない状況にまで追い詰めあってから離婚を選んだ自分。
もっと早く、「ノー」と言えていたら。
世間の目とかつまらない見栄なんて捨てて、最初からもっと自分の気持ちに正直に生きていたら。
何かが違っていたかも知れないのです。私の場合。
ひとたび自分に心が向かうと、急に色んなことが見え始めます。
今まで「前夫にこんなことをされた」と思って生きていましたが、では「自分はどうだったんだろう」
「前夫が、ああで、こうで」という場所を越えて、「私はああでした、こうでした」
「自分自身はどうだったのか」というところに立てば、この本の意図するところがスッと心に入ってきたんですよね。
ですから先程、
以前は「自分を利用する人にも、愛をもって優しく接し続けるようにしましょう」という一文が受け入れられなかった、と書きましたが、今はそういう人になりたいとさえ感じています。
かつて私は、前夫によって自分の優しさ・親切・忍耐を踏みにじられたと感じていました。
けれど「私はどうだったか」
私は本当に優しかっただろうか。
親切だっただろうか。
忍耐しただろうか。
よくよく思い返せば、それは「穏便に離婚したい」
作られた見せかけの優しさ、偽りの親切でした。
本心から相手を思いやった真実の優しさではありません。
そのような「自分にとって心の痛い真実」を素直に受け入れ始めると、この本にはとても大切な言葉が沢山書かれていることに気付きます。
引用
「あたらしいスタートは、いつでもできます。あなたにも」
「心に触れたことは、永遠のものです。心で感じるものを大切にしてください」
「あなたの良いものを、みんなに配っていきなさい」
引用ここまで
どのようにして傷を乗り越えて、どのようにして本当の優しさが与えられるのか。
シンプルな言葉で綴られています。
前回同様、私はこの本を「心の教科書」としてお使いになることをお勧めします。
「気になるところは線を引く」「ノートに書き出す」
(方法は前回記事をご参照ください)
前回記事:バレンタインデスーザ神父「そよ風のように生きる」再婚活は焦らずに(別窓で参照)
離婚の傷を乗り越え培われた優しさは、その後の人生・・再婚や子育て、介護、仕事の人間関係や地域のつながり、沢山の場面をあたたかく包むことでしょう。
何より、前夫含め「誰のことも恨まずに生きる」
重い荷物を下ろせる喜びは何物にも代えがたいでしょう。
優しさは必ずあります。誰の心にも。
与えることも、受け取ることも出来るのです。
尚、今回は少し宗教色があります。
(前回以上に「祈り」や「神様」といった言葉が多く出てきます)
私自身は無宗教ですが、特に違和感なく読めました。
特定の信仰のある方はその点お含み下さい。
私は特定の信仰はありませんが、今日はあなたの幸せを祈ります。
どうか道が開けますように。
今日があなたにとって、優しさにあふれる幸せな一日でありますように。